9月も終わりに近づきました。日中はまだ気温が高いですが、もう真夏の暑さ
ではありません。朝夕はずいぶん涼しくなって、日課の庭仕事でも季節の移り変わりを
楽しんでいます。
今週火曜日は大阪のヨガ講座の日でした。会場近くの街路樹の葉が一枚また
一枚と秋色に変わりつつあるのを見つけました。
中之島の朝日カルチャーセンターには、アシスタント時代から数えるともう35年
以上通い続けていますが、夏とは違う空気や景色の中に秋を感じたその時、いつかは
ここを離れる日がやってくるんだなぁ・・とふと思ったりしました。それはけして
センチメンタルなものではなく、齢を重ねながらごく当たり前のこととしてやってくる
流れの中にいる自分を、少し離れたところから観ている、といったものでした。
ヒンドゥー教では“アーシュラマ=四住期”といって、人の一生を4つに区切り、
それぞれのステージにおける理想的な生き方を説いています。4つのステージとは、
①ブラフマチャリヤ=学生期 ②グリハスタ=家住期 ➂ヴァーナプラスタ=林住期
④サンニャーサ=遊行期です。現代の、しかも日本の社会においてこれをそのまま
実行することは現実離れしているように見えますが、その意味を理解し、それぞれの
時期にとって心身ともに無理のない生き方をすることで、自然にまた穏やかに
過ごせるような気がします。
さて、実は少し前にわが家の猫娘の一人わかめが20歳の誕生日を迎えました。
年々夏の暑さや冬の寒さが身体にこたえるようになってきて、この夏も心配でしたが、
何とかがんばってごはんも食べ、庭に出て散歩したい意欲も健在です。でも猫の20歳は
人間なら96歳という高齢。調子のよい日もあれば悪い日もあって、気が抜けません。
そして飼い主の人間の方も着々と年を重ね、自分自身にも周囲の事情にも何かと変化を
感じざるを得ない今日この頃。でもこの夏、体調不良とお付き合いしながら精いっぱい
生きているわが猫娘から大きな学びを実感しました。
ヨーガの経典でもあるインドの古典「バガヴァッドギーター」に次のようなシュローカ
(詩節)があります。同じ一節でも10年前、20年前とは比べ物にならないほどの重みを
感じます。
人が古い衣服を脱ぎ棄て、新しい衣服に着替えるように、
魂も古い肉体を捨てて、新しい肉体を纏う。
ギーター /2-22 長谷川澄夫先生訳
この世に生を受けて、子供時代、青年期、壮年期を経て老年期を過ごしていく肉体は
確実に老化への道を歩んでいきます。老いを受け入れることはそうたやすくはなく、
そこには大なり小なりの葛藤があります。何故なら心には、できればまだもう少し若く
いたいという願望が残っているから。
でも一匹のわが猫娘の老いを客観的に観ることができたとき、この一節がとてもリアルに
しかも静かにストンとおなかに落ちたような気がしたのです。永遠なるものと終わりのあるもの、
真実とそうでないものとの区別を身体とこころと生活で理解していくのがヨーガの世界。
そしていただいた身体は神様の道具としてお借りしているもの、これからもお手入れしながら
大切に使いながら、その中に宿った永遠なるものを磨いていこう。
ひとつの季節が過ぎていき、新しい季節がやってくるのが楽しみなように、一生の中
での新しい季節も楽しみたいですね。そのためにはいつものヨーガクラスもお家で行う日々の
プラクティスもちろん大切ですが、インド思想を一緒に学びませんか。バガヴァッドギーターや
ヴェーダ、ヨーガスートラ等に関心が芽生えたかたは是非お問合せ下さい。インドの叡智に
触れることによっていつもの生活が、また内なるいのちが一層キラキラと輝き始めます。
まだもうしばらくは昼間の暑さとお付き合いですが、身体は深まる秋に向って変化
しています。身体の熱を上手に発散させながら、同時に夏の冷えを解消する、そのため
には流れを良くすることが大切です。やはり「ヴァータ(風)はドーシャの王様」と言われる
所以がここにありますね。
毎日のヨーガを大切に。そして少しずつ深まっていく季節の変化を楽しんでいきましょう。
Pranam & Om