
クリスマスの翌朝から、とうとう雪が降り始め一日中降ったり止んだり。
この冬初てめの雪景色になりましたが、また次の日お日様が顔を出すと、
庭の木々に積もった雪は、あっという間にキラキラ光る水滴になりました。
雪に埋もれていたマリーゴールドが顔を出して、そのけなげな姿が愛おしくて。
長い間ブログをお休みしてしまいました。気がつけば12月。
今年はどんな一年だったかな。振り返ると、今、大切な人たちの
笑顔と思い出が次から次へとよみがえります。もう会えなくなって
しまったけど・・。悲しいお別れが続いた年でした。
中でも、師との突然のお別れによる喪失感はあまりにも大きくて、
心にぽっかりと大きな大きな穴が開きました。日々の暮らしの中で
出会ったこと、感じたことはいっぱいあったはずなのに、あの日
以来、何も書き記す気持ちにはなれなくなりました。
あの日から・・春が来て、夏が来て、秋が来て、そして冬。ずっと
言葉から離れたかった時間が過ぎていきましたが、そんな中でも、
いえ、だからこそ、大切なことをまた学んだような気がします。
いつまでも悲しんでいては申し訳ありません。ようやく今の思いを
ブログに書き記してみようと思えるようになりました。
インターネットが普及し、2000年初め頃から始まったブログですが、
今はyoutubeやインスタグラム等でのVログの方が主流のようです。それ
どころかこれら以外にも色んなSNSがあって、インターネット上で繋がり、
情報を共有・発信(実は私は発信という言葉は好きではありませんが)、
交流するようになって、人はとても饒舌になったようにみえます。膨大な
量の情報がそこには流れています。もちろん、そういった媒体を皆さま
上手に有効に使っていらっしゃるなぁ、と感心し、私自身も楽しませて
いただいているけれど。でも一方で自分が投稿するとなると、ところで私は
何かを外に向かって表現する必要が本当にあるのかな?と思うようになった
のです。思いを表すことができなくなったこと、同時に内へ内へと心が向かい
続けた時間が、そのように思わせたのかもしれません。
そして、ヨーガの本質がDo(行為)ではなくBe(在り方) であるように、
外に向かう心を内に向け、本当の自分と向き合い、調和すること、このような
在り方がまた大きなエネルギーとなって必要と思えることに惜しみなく使える
ことこそ、今ここに生かされている私たちのヨーガのサーダナであると、改めて
実感しました。
24歳の時にご縁をいただき、それ以来ずっとそばで学ばせていただいた師は、
どんな時も大きな愛で私たちを導き、包み込み、見守って下さる大きな存在でした。
素朴でシンプルで、目立つことは好まず、指導の第一線を退いた後も、静かなる
カルマヨーガ、バクティヨーガの実践者でした。そんな素晴らしい師に出会えた
感謝の気持ちを胸に、私もヨーガの道を歩んでいきます。
~ その②へと続きます

Hari Om
